2009年11月1・ウォッチ・
日本列島の20億年・茨城・栃木県

デジカメ: ディジタル一眼 ニコン D90 18-200mm (35mmカメラ換算 28-300mm) 手持ち による撮影

写真41枚。

アナログの方は重いので、やめた方がいいです。
ブロードバンドの方は気にならないスピードで開けます。

最終更新日 : 2009.11.14


2009年11月03日(火)
ETC高速道路休日割引を使って、N氏・T氏と3人で、
茨城県稲田花崗岩、栃木県大谷の私的地学散歩。
つくばエクスプレスで、「つくば駅」から、N氏の車で、稲田と大谷、宇都宮駅でおろしたもらった。


日本列島の20億年・茨城・栃木県



茨城県稲田の稲田花崗岩

岩波書店 2001年刊 刊 写真:白尾元理 解説:小畦尚・斎藤靖二「グラフィック 日本列島の20億年」のうち、
9箇所目、茨城県稲田「花崗岩の石切り場−稲田石」。






ジャストポイントには、休日の昼休みということもあって、入れず、正面の東側から撮影。


石材メーカー潟^カタの「石の百年館」 入場料300円。中に稲田石関連の立派な展示がある。
このミニ博物館もとても良かった。身近な花崗岩について、いろいろと知って、感動した。
確か、我が家の墓石も、稲田石ではなかったか。稲田石が身近になった。


入り口入ってすぐの所に、幅2mほどの花崗岩の中に取り込まれた雲母などの岩塊。
こういうところは、石材としては、価値がないのだとのこと。


次は、ペグマタイト(巨晶)








左が稲田花崗岩、右が大理石(石灰岩)。


晶洞性花崗岩ペグマタイト。これも石材としては価値がないとのこと。


幅3cmほどの煙水晶。一円玉は直径 2cm。




水晶のいくつもの塊、一つの水晶の幅は約2cm弱。


シュリーレンになった部分。


シュリーレンの説明。


一円玉は直径 2cm。


石灰岩質スカルンゼノリス。


取り込まれた塊の幅約28cm、高さ最大約20cm。


百年館の外に置かれた、車庫の中に展示が。
左奥のシュリーレンの標本は、幅3m、高さ1mほど。


昼の休憩時間になってしまったので、案内をお願いするのを遠慮し、
勝手に中に入らせてもらって、撮影した。


中央の山の最上段の高さは、およそ十メートルほどあるか。


正面には、割れ目の入って、雨水で茶色くなった面、割れ目間の距離は六メートルぐらいあるか。



栃木県大谷の大谷石

岩波書店 2001年刊 写真:白尾元理 解説:小畦尚・斎藤靖二「グラフィック 日本列島の20億年」のうち、
10箇所目、茨城県稲田「古墳時代から使われた石−大谷石」。






ジャストポイントの少し上から撮影。


大谷資料館の駐車場。かろうじて、移動にかかった時間を入れて、15:45ころに駐車場に到着。
この崖も大谷石でできている。
大谷石、小学生の頃から、近所の立派なお宅の塀も、大谷石で出来ていた。
石工の人が長さ30cmほどの、ハンマーの先に刃のついた道具で、
上手に平面を切り出していたのをよく覚えている。
上手に切り出すものだと、感心しながら見ていた。
家の近所のタバコ屋の息子も、石工として働いていた。




大谷資料館 400円だったか。


坑内への入り口。昭和54年(1979)から、地下のみ公開。


最初は狭い。


中はだだっ広い。幅は二十メートルほどか。高さも二十メートル以上あるか。
私は、初めて。この地下採掘場の大きさに感動した。来て良かった


東京ドームが入る大きさとのこと。




石舞台。
昭和58年(1983)には、喜多郎のシンセサイザーコンサートが開かれたとのこと。
毎年、いろいろなイベントで使われているとのこと。








資料館の中の一部。








採掘場の模型。




平和観音。




近くにあった大谷石の解説板。







かこうがん(クヮカウ‥)【花崗岩】
石英とカリ長石を主成分とする粒の粗い火成岩。多くは白色ないし淡紅色で、みがきあげると美しいので、石材として使用。

ペグマタイト
(英pegmatite)火成岩の一つ。石英、アルカリ長石、白雲母からなり、優白質粗粒。花崗岩質の岩石やその周囲の変成岩中に脈状に産出し、
時には緑柱石、蛍石、ざくろ石、電気石、コルンブ石、タンタル石などを含入する。巨晶花崗岩。

おおやいし(おほや‥)【大谷石】
宇都宮市大谷町から産出する第三紀の石英粗面質凝灰岩。淡青緑色で耐久・耐火性に富む。
石質が柔らかく、細工が容易。倉庫建築材、石垣、下水などに用いる。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988



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