2009年11月4・ウォッチ・
トルコ3・古代都市エフェソス

デジカメ: ディジタル一眼 ニコン D90 18-200mm (35mmカメラ換算 28-300mm) 手持ち による撮影

写真67枚。

アナログの方は重いので、やめた方がいいです。
ブロードバンドの方は気にならないスピードで開けます。

最終更新日 : 2009.12.28


2009年11月20日(金)-27(金)
2009年海外旅行第2段、トルコ、パック旅行、今回は読売旅行。
古代都市エフェソス。世界遺産には入っていないが古代遺跡。
解説はほとんどが、全面的に、現地で購入した ヒュセイン・チムリン「古代都市エフェソス」日本語版による





中央左が、アルテミス神殿跡


アルテミス神殿への入り口、上の衛星画像の左端の道路からの入り口


この場所には、紀元前8世紀から4度にわたって神殿が建設されていたという


この柱が一本立っているだけだ



エフェソス全体の衛星画像
右下 南の入り口から入り、中央やや左の緑の出口から出た



古代都市エフェソス1

右下 南側の入り口から、左上 ケルスス図書館まで


南東からの入り口


左奥にオデオン


案内板、左側に、今日歩いたコースが下から上へ


ヴァリウス浴場


泉水殿 (L..バッススの泉)


東西に通る平坦な道


オデオン
エフェソス市民の中から選出された議員や上流市民、クレテスとよばれた神官などが集まり
市政を協議する場であると同時に、文化的催しにも使われていた
1500人収容可能、排水路がないことから、木造屋根で覆われていたらしい
踊り場で分けられ、下段に13列、上段に10列の座席が並ぶ


駆け足で、上まで登った




正面から右にかけて、ブリタニオン(市会堂)


ブリタニオン(市会堂)


中央 クレテス通り


アップで
クレテス通りの正面やや左にケルスス図書館
中央下に メミウス一族の像




碑文の残るドーリア式円柱、ブリタニオン


メミウスの碑
翼を大きく広げ、花輪を手に、空に舞う勝利の女神ニケ


ポリオの泉




ドミティアヌス神殿


クレテス通りの下り坂の左側には、モザイク飾りの歩道が




ハドリアヌス神殿
2世紀にあるエフェソス市民が建設したもの


正面アーチの半身像は幸運の女神ティケ


メドゥーサの浮き彫り


モザイク歩道に猫がのんびり


この建物の中には入らなかったが、丘の上の邸宅があるとのこと


クレテス通りの右側、娼館の手前、スコラスティカ浴場からの排水が便器の下の溝を流れるという


50人分の、開放的な公衆トイレとのこと
トーガ?のすそをたくしあげ、隣人とおしゃべりしながら用をたす、
おおらかな古代エフェソス市民たちであったという


まだ、完全には、修復されていない


ゆるやかな坂を下りた所が、ケルスス図書館
ティベリウス・ジュリウス・ケルススは、ローマ帝国アジア州知事だった
114年に70歳で亡くなり、その墓はエフェソスのアゴラの入り口近くに造られた
まもなく息子のティベリウス・アキラは、父の墓の上に記念図書館の建設を始めた
アキラが病死した後、125年に完成した
265年、エフェソスを襲ったゴート族の蛮行によって、
12000冊の書物を蔵した図書館も破壊炎上し、再建されることはなかった
1970-1978年の修復作業により、オリジナルに近い形で再現した






一つ中に入ると、解説板がある


解説板の一部


床面は、装飾されている




正面の4体のファザード、ここにあるのはレプリカ、左一番目
このファザードの本物は、ウィーンのエフェソス博物館に運ばれている
知恵、学識、雄雄しさ、美徳を象徴するという


これは、学問の女神アテナの像


右の2体は、首がない


正面右側に出てみる
前は、商業アゴラの部分が見える


右を出て、左側


出て、振り返って、マゼウスとミトリダテスの門


左奥のケルスス図書館と、
右手前は、娼館だったという場所、出土したエロティックな小像や、トイレットに残された落書きから分かったとのこと


衛星画像の北側の部分
右下に、ケルスス図書館がある


ヘレニズム時代に馬車が行き交ったという大理石通りを、左に歩いていく


右奥に大劇場


上の写真の人の多い左側にある、大理石通りの娼館への道しるべ
左上にハートのマーク
右下に女性の顔と、方向を示す足


振り返って、ケルスス図書館方向を見る
ここにあるのだ、人気スポットとのこと


商業アゴラへの、大理石通りからの門


いよいよ、大劇場を右側に


これが、大劇場
ヘレニズム時代に建設され、ローマ皇帝クラウディス(41-54)が拡張工事を始め
皇帝トラヤヌス(98-117)の時代に完成した
高さ18mの三階建てスケーネ(ステージビル)
扇型に広がる観客席は22段、二つの踊り場で大きく3つに仕切られ
24500人の収容能力
屋根はなかったから、半円形のオーケストラには、雨水排水路が設置されていた
ローマ帝国時代には、ここで行われる剣闘士と野獣の戦いが人気を呼び
観客の安全のため、壁を高くしていた
現在も、文化的催しに利用されている


登ってみる、大きい


上から、右側から、中央奥へ伸びるアルカディアン通り
通りの奥が、港だったとのこと


10m弱の出口は小さなトンネル状になっている


大劇場を出ると、アルカディアン通り(港大通り)が、港へ続く
幅11m、長さ530m、大理石の道
ビザンチン時代に、皇帝アルカディウス(395-408)が、この道を改修してから、アルカディアン通りと呼ばれる


大劇場を斜め正面から、劇場体育館ごしに南東方向


出口に向かっての石畳
樹木には、虫除けの白いペイントが塗られている


アルカディアン通り(港大通り)を正面に


北側の出口? 入り口


土産物店




小型のタクシー、珍しいと思って撮った


ジュースは、その場で絞ってくれる


イチジクのジュースだったか、酸っぱかった


あちこちで、猫を見た、いい顔をしていた



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