2005年5月4・旅ウォッチ・
ベトナム・ハノイの旅1
デジカメ: ペンタックス *istDs 手持ち
による撮影

写真数91枚。

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最終更新日 : 2005.05.28


出発から第一日

2005年5月19日(木)、曇。休暇を取って、ベトナム・ハノイ5日間の旅に出かけた。

往きの飛行機からの景色。
 
右河口湖と左西湖、上は甲府盆地
手前甲府盆地、上方に八ヶ岳、左上に諏訪湖

 
中央は南アルプス、右から仙丈岳、北岳・間ノ岳・農鳥岳、塩見岳。左上に中央アルプス。
右は甲府盆地。

 
南アルプスを南側から

 
南アルプス

ハノイ・ノイバイ空港近くの景色、ベトナムでは時差が2時間遅れ
したがって、ここより以降は時刻から2時間を差し引いたのが現地時間
 

 
ホンダの工場




ハノイ・ノイバイ空港到着ロビーは簡単だった。

空港からホテルまでは、ツアーで雇った日本語のできるガイドが車に乗せて
運んでくれた
 
牛が歩き、広告看板は大きい
タンロン−ノイバイ高速道路

 
左は、水牛(黒)と牛
建設なった分譲団地

 
高速道路脇では牛が
Canonの工場

 
ホアン川を渡る橋

 


お金持ちの家

 
ホテルの部屋、ここに3泊した。ベランダからはタイ湖を挟んでハノイの町が見える。
ハノイの中心街まで歩くと40分、始めは英語が通じないバスにも乗れず、4時間歩きまわった。

 
ホテル3階から

 
タン・ロイ ホテルを16:30ころ、出発
この日は、全くの一人で行動した。


ホテル入り口の花

 
ホテルからは、裏道を歩いた。
サトウキビ、行商の野菜

 
バイクがものすごく沢山。ヘルメットは高速道路以外被らなくても捕まらない。




中央は自転車道、車は右側通行、歩道には直径80cmの街路樹が植わっている。

 
歩道の上はあちこちで、夕涼みや駐輪で一杯
自転車帯を歩く人、歩道では床屋も

 
ハノイ市水道局
とにかく、街路樹が立派

 
床屋があちこちに。

 
ガソリンスタンドでは、バイクが給油でいっぱい
バスがしょっちゅう来るが、まだ自信なく乗れない。

 
トラス橋は、鉄道橋、ロン・ビエン駅

 
バスを待つ人々、バスは一律3千ドン(約20円)
信号のない交差点では、人間もどうどう渡ること

 





 
ドンスアン市場、写真を撮らなかったが、いろんな乾物や野菜や動物など食物・日曜雑貨などの店が乱立していた

 
市場の外も路上売りがたくさん

 
36街と呼ばれる旧市街、業種ごとに何十軒もの店が並ぶ

 
大工道具、行商、夕涼み

 
ゴミを拾い集め運ぶ女性
町では夕飯用の雷魚が売られていた。


野菜を売る行商のおばさん

 
鉄道は客車が日に3回とかで、普段は生活の場

 
交差点は、バイクの二人乗りが大半、自動車はバイクの数の一割程度か。
バイクが生活必需品とか。

以下は、2時間目にやっと到着したホアンキエム湖南西周辺
 
湖の周りは幅約十数メートルの公園になっていて、夕涼み客がものすごく多かった。
湖畔のレストランでビールとクロワッサン・サンドを食べた。

 
西洋人の観光客がとても多い


これが私の入ったレストラン

 
ライトアップされた郵便局、湖南東にある

 
夕涼みの客たちがものすごい数

 
木曜日の夜なのに、舞台が作られていた。翌日ガイドに聞いたら、ホー・チミンの誕生日だったという。
公衆便所の一つ。

 
将棋を指す人
2つ目の舞台

 
夕涼み客

 

 

 
3つ目の舞台


帰り道、夕涼みで道路真ん中の歩道に沢山


長い一日、歩き疲れて、やっとホテルに帰り着いた。約十時。
シャワーの湯が出なかったり、飲む湯がなかったり、コーヒー・紅茶・茶などが置いてなかったり
サービスはあまり良くなかった。
片言英語で電話して、シャワーも一時間後には出たし、お湯もポットで運んでもらった。
無料だった。


ベトナム【越南】
(Vietnam)〈ヴェトナム〉東南アジア、インドシナ半島最東部にある社会主義共和国。
北部のソンコイ川がつくるトンキンデルタ地帯と南部のメコン川がつくるメコンデルタ地帯とをアンナン山脈ぞいの狭長な中部がつなぎ、南シナ海に面する。
北は中国、西はラオス・カンボジアに接し、文化的には中国の影響が強い。
一九世紀初め阮王朝が全土を統一、越南と称したが、一八八四年以来フランスの保護領となった。
一九四五年ホーチミンを首席とするベトナム民主共和国が独立。
その民族主義戦線と、フランスとの間で、五四年のジュネーブ協定まで第一次ベトナム戦争がおこなわれ、北緯一七度をもって南北に分断された。
六〇年、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が成立、北ベトナムがこれを支持して南ベトナム政府軍との間で内戦化。
六一年には南ベトナム側にアメリカが介入、第二次ベトナム戦争となる。
七三年に和平が成立し、七六年、ベトナム社会主義共和国として南北統一が実現。首都ハノイ。

ベトナム‐ご【ベトナム語】
安南語の、第二次世界大戦後の別称。

ハノイ
(Hanoi)ベトナム社会主義共和国の首都。インドシナ半島北東部のトンキン‐デルタにあり、ソンコイ川の本流に臨む。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

ハノイ Hanoi
ベトナムの首都。漢字では河内。同国北部,ソンコイ川河口より約150km,トンキン・デルタの中心地。
機械,自動車修理,繊維,皮革,醸造などの工業が行われ,大学(1956年創立),考古博物館,革命博物館などがある。
唐代に安南都護府がおかれ,11世紀から19世紀初めまでリ(李)朝,陳朝,レ(黎)朝など歴代王朝の首都となった。
昇竜,東都,東京などと呼ばれた。フランス領インドシナ時代はインドシナ総督府所在地。
第2次大戦中は日本が占領し,ベトナムの南北分断後は北ベトナムの首都,1976年の統一後から現在までその地位を保っている。
ベトナム戦争中は米軍による北爆の対象となり,多くの被害をこうむった。130万人(1996)。

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