2005年5月5・旅ウォッチ・
ベトナム・ハノイの旅2
デジカメ: ペンタックス *istDs 手持ち
による撮影

写真数79枚。

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最終更新日 : 2005.05.29


第二日・タムコック

2005年5月20日(金)、曇。ベトナム・ハノイの南約80km、タムコックに出かけた。
タムコックまでは片道2.5時間。小舟遊覧も約2時間だった。

途中の景色。
 
葬式に出会った。若い人だった。右は花輪を売っている。白の花輪は十代・二十代だそうだ。

タムコックの入り口、有料だ。


 
チケットを見せ、これから小舟に乗る。真ん中黄色い縞シャツは日本語ガイドのVuongさん。

 

 

 
水路の両岸にはイネが植えられている。この辺りは二期作だとのこと。二月に植え九月に収穫するとのこと。

 

 
おじいさんが下を囲っていた。左側の山の上は展望台らしい。

 
途中ではタニシを採っている。右は赤いのがタニシの卵だとのこと。アカトンボのヤゴが右1/4のイネの茎に見える。

 
第一の鍾乳洞

 

 

 
また、タニシを採っている。コンクリートで平場を作り、人が住んでいる。

 
第二の鍾乳洞をくぐる。

 

 
第三の鍾乳洞をくぐると、折り返し点。

 
ジュースや果物を買ってくれと小舟が寄ってくる。

 
観光客は、韓国人が多かった。日本語も聞こえた。
ここから、来たコースを戻る。

 
エンジンの手入れか。

 
蓮の花が咲いていた。
後のこぎ手は15歳だというが、とても幼く見えた。女性はお母さん、ティーシャツやテーブルクロスを買ってくれと
せがまれた。ティーシャツを4枚とクロスを一枚買った。カラーの刺繍入りだ。

 
山の上に観音様の形の岩が。
途中数箇所で、狭い場所を通る。

 
アヒルを沢山放し飼いにしていて、ちょうど一斉に水の中を泳ぎ始めた。

 
船の前を懸命に泳ぐ。

 
アヒルが遊ぶ。

 
約二時間、こぎっぱなし。本業は農業で、船はアルバイトだという。
少年は中学生で、学校が終わってから手伝っていると言う。午前中に終わってしまうのだという。
家から学校までは1kmと言っていた。

 
路面補修工事をやっていた。写真がうまく撮れなかった。
三角帽子は女性が被る。

 
家の正面だけはきれいに塗装し、側面はコンクリート打ちっ放しというのが多かった。
お金持ちは全面塗装していた。
警察官に捕まっていた。

ハノイ市内に戻って、ベトナム最古の大学「文廟」見学
 
右の門から約百名が地方の試験を受けて入る。卒業者は三名ほどで左の門から出る。

 
中門の奥に講義室が見える。

 
講義室の手前には、左右に分けて亀の台に乗った平板の石碑に、
3年に一度の科挙試験に合格した者の名前が刻まれている。

 

 
右には、石碑の年号が並び順に説明されている。1442年から1775年までの石碑が並んでいる。
並び順はどうも不規則だ。石の大きさで、その時代の経済状態が分かるという。
また、亀の頭の光具合で、人気が分かるという。

 
池を挟んで反対側にも石碑が並んでいる。
石碑の先には、講義が行われた建物がある。

 
孔子像。
卒業は王様が選んだ二・三名、左の門から出るのだそうだ。「達才」と書いてある。

水上人形劇場見学


 
始まる直前、約一時間の興業だ。


言葉はベトナム語で分からなかったが、張りのある声による語りと唄と演奏。

 
動きはせりふと併せて滑稽、非常に激しい動きで感動した。

 
公園の最後には、人形劇の操者が十人表れてあいさつ、拍手で幕が閉じる。


3階で行われていた。出口は観光客で一杯。
この日は、夕食をレストランで食べて、ホテルまで送ってくれた。


ベトナム【越南】
(Vietnam)〈ヴェトナム〉東南アジア、インドシナ半島最東部にある社会主義共和国。
北部のソンコイ川がつくるトンキンデルタ地帯と南部のメコン川がつくるメコンデルタ地帯とをアンナン山脈ぞいの狭長な中部がつなぎ、南シナ海に面する。
北は中国、西はラオス・カンボジアに接し、文化的には中国の影響が強い。
一九世紀初め阮王朝が全土を統一、越南と称したが、一八八四年以来フランスの保護領となった。
一九四五年ホーチミンを首席とするベトナム民主共和国が独立。
その民族主義戦線と、フランスとの間で、五四年のジュネーブ協定まで第一次ベトナム戦争がおこなわれ、北緯一七度をもって南北に分断された。
六〇年、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が成立、北ベトナムがこれを支持して南ベトナム政府軍との間で内戦化。
六一年には南ベトナム側にアメリカが介入、第二次ベトナム戦争となる。
七三年に和平が成立し、七六年、ベトナム社会主義共和国として南北統一が実現。首都ハノイ。

ベトナム‐ご【ベトナム語】
安南語の、第二次世界大戦後の別称。

ハノイ
(Hanoi)ベトナム社会主義共和国の首都。インドシナ半島北東部のトンキン‐デルタにあり、ソンコイ川の本流に臨む。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

ハノイ Hanoi
ベトナムの首都。漢字では河内。同国北部,ソンコイ川河口より約150km,トンキン・デルタの中心地。
機械,自動車修理,繊維,皮革,醸造などの工業が行われ,大学(1956年創立),考古博物館,革命博物館などがある。
唐代に安南都護府がおかれ,11世紀から19世紀初めまでリ(李)朝,陳朝,レ(黎)朝など歴代王朝の首都となった。
昇竜,東都,東京などと呼ばれた。フランス領インドシナ時代はインドシナ総督府所在地。
第2次大戦中は日本が占領し,ベトナムの南北分断後は北ベトナムの首都,1976年の統一後から現在までその地位を保っている。
ベトナム戦争中は米軍による北爆の対象となり,多くの被害をこうむった。130万人(1996)。

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