2005年5月7・旅ウォッチ・
ベトナム・ハノイの旅4
デジカメ: ペンタックス *istDs 手持ち
による撮影

写真数41枚。

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最終更新日 : 2005.06.05


ハノイその他1

2005年5月19日(金)〜21日(土)、曇or晴。今まで以外のベトナム・ハノイ1。
写真の時刻から2時間引いたのが、現地時間。


玉山祠、13世紀に建てられた物の1865年再建、ライトアップされていて、ホアンキエム湖のあちこちから見える。
結局、一度も行かなかった。

5/20(土)、タム・コックへの途中の車窓からいくつか
 
左は、お墓。   右は中央分離帯に立った旗。

 
左はタライ?  右はアヒルが道を渡る。

 
左バイク屋  右花屋


果物売り、あちこちで見かけたが、なかなか写真では撮れていない。

05/21(日)、ハロン湾にでかける前に
ホーチミン廟周辺、ガイドのVuongさんのホンダ・バイクの後に乗せてもらって
案内してもらった。
 
ホーチミン博物館、1990/05/19、ホーチミン生誕100周年を記念して建てられた。
翌日、近くまで行ったが、半ズボンのため近寄れなかった。

 
一柱寺、1049年に李朝の太宗(リー・タイ・トン)が創建した寺。
ハノイのシンボルの一つ。この柱は再建された物。右の写真は私。

 
ホーチミン廟の真向かいにある国会議事堂?
その隣に見えた?

 
ホーチミン廟、月曜・金曜は休館、朝7:30-10:30まで開館、無料。
ホーチミン首席の遺体がガラスケースの中に入れられて、眠るように横たわっていた。
1979年9月2日建国記念日にできた総大理石で、蓮の花を形どっていた。
左の写真のえび茶色のアオザイを着た女性たちは、ベトナム戦争での人たちの団体ではないかとのこと

 
左の建物で荷物検査等してから100mほど、右の歩道を歩いて、団体の列を作って遺体を見せてもらう。
建物のはるか遠くに、軍の兵士が不審な者が侵入しないか、あちこちで監視している。

 
交差点の信号機。ほとんどがバイク。
レーニン像、軍事博物館の真ん前に建っている。


ハロン湾への途中の休憩場所の土産物店
少し暗い中での作業、確実に目が悪くなるのではないかと思われる
 
左刺繍   右うるし研ぎ

 
左縫製   右は見本を見ながら刺繍をする若い女性

 
左、途中あちこちで見かけた果物売り   右、日よけ帽子ノンを被り、自転車の荷台に付けたてんびん棒にざるを下げ物を運ぶ

 
左、ザルを七十から八十個ほど積んで自転車で運ぶ
右、韓国製のトラックで豚を数十頭運ぶ、中央右の男声がバイクで、緑色のつばのある帽子を被って進む

 
左、牛が道を横切る   右、通勤の帰り道か、自転車が群れて


道路の北側の工場から、通勤帰りの女性たちが群れる


ハロン湾クルーズの帰りに、ハノイの東からハノイに戻ってきた。

ハノイへの国道にかかるアーチ

 
左は、ホン河にかかるロン・ビエン橋(1902年、長さ1682mのトラス橋)の夕方ラッシュのバイクたち。
左のトラスの中は、自動車が通る。トラスの右側はバイクや自転車がほとんど。
右は、橋の上から、ホン河の夕焼け


ホアン・キエム湖には、バイク・自転車の洪水、中央左には、ベトナム戦争終結30年の化粧枠が建っていた。

 
ショッピング・センターの中の店でサンドイッチを買って食べた。


ハノイ一のショッピング・センター(デパート)7階建て?だったか。
一階中央には、ソニーのブースが。
外観の写真は撮ってなかった。


バス・ストップ、3日目にやっと乗ったバス。英語は全く通じないが、一律3000ドン。心配することはなかった。


この日05/21は、およそ夜9時にタン・ロイ ホテルに帰り着いた。


ベトナム【越南】
(Vietnam)〈ヴェトナム〉東南アジア、インドシナ半島最東部にある社会主義共和国。
北部のソンコイ川がつくるトンキンデルタ地帯と南部のメコン川がつくるメコンデルタ地帯とをアンナン山脈ぞいの狭長な中部がつなぎ、南シナ海に面する。
北は中国、西はラオス・カンボジアに接し、文化的には中国の影響が強い。
一九世紀初め阮王朝が全土を統一、越南と称したが、一八八四年以来フランスの保護領となった。
一九四五年ホーチミンを首席とするベトナム民主共和国が独立。
その民族主義戦線と、フランスとの間で、五四年のジュネーブ協定まで第一次ベトナム戦争がおこなわれ、北緯一七度をもって南北に分断された。
六〇年、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が成立、北ベトナムがこれを支持して南ベトナム政府軍との間で内戦化。
六一年には南ベトナム側にアメリカが介入、第二次ベトナム戦争となる。
七三年に和平が成立し、七六年、ベトナム社会主義共和国として南北統一が実現。首都ハノイ。

ベトナム‐ご【ベトナム語】
安南語の、第二次世界大戦後の別称。

ハノイ
(Hanoi)ベトナム社会主義共和国の首都。インドシナ半島北東部のトンキン‐デルタにあり、ソンコイ川の本流に臨む。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

ハノイ Hanoi
ベトナムの首都。漢字では河内。同国北部,ソンコイ川河口より約150km,トンキン・デルタの中心地。
機械,自動車修理,繊維,皮革,醸造などの工業が行われ,大学(1956年創立),考古博物館,革命博物館などがある。
唐代に安南都護府がおかれ,11世紀から19世紀初めまでリ(李)朝,陳朝,レ(黎)朝など歴代王朝の首都となった。
昇竜,東都,東京などと呼ばれた。フランス領インドシナ時代はインドシナ総督府所在地。
第2次大戦中は日本が占領し,ベトナムの南北分断後は北ベトナムの首都,1976年の統一後から現在までその地位を保っている。
ベトナム戦争中は米軍による北爆の対象となり,多くの被害をこうむった。130万人(1996)。

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