2011年5月4・津波被害・岩手県宮古市田老町


デジカメ: ディジタル一眼 ニコン D5000 18-200mm (35mmカメラ換算 28-300mm) 手持ちによる撮影

写真数78枚。

アナログの方は重いので、やめた方がいいです。
ブロードバンドの方は気にならないスピードで開けます。

最終更新日 :  2011.05.29


田老・津波被害

2011年05月20-22日(金-日)
3/11 の東日本大震災の津波被害地の写真を撮って来た。
一人で。ここでは、最終日の最後 22日夕方、岩手県宮古市田老町篇。
宮古市全体の死者数 417人、行方不明者数 355人。







大防潮堤をいとも簡単に乗り越えた津波(田老町漁業協同組合提供) 宮古市HPより
漁協建物より


東X字防潮堤 手前橋落橋


津波をまともに受けて裏返ったコンクリートT字桁


北防潮堤堤外地の橋落橋 桁は左上流側に二つに分かれて


落橋した橋の背面 北防潮堤の入り口 向こうは堤内地 海側から見る


この転がっているコンクリートの塊は何なのか
大型クレーン船で移動しようとしているのか
旧の衛星写真を見たら、港入り口の防波堤が、みな転倒している


あちこちに転がっているコンクリート塊












50円玉の直径は、2.1cm、カキ殻と


大防潮堤の海側から登れるようになっている


大防潮堤の上から、海側を見る


南方向海側防潮堤


X字の交点から、南陸側


少し西に振って、流された大量の家屋は、もう片付けられている


鉄筋コンクリート以外の家屋はすべて流されたらしい
左端は、田老町第一小学校?、右端の中学校では、一階は窓が破られた


北方向を見る 中央やや右の鉄筋コンクリートの建物は、田老町漁業協同組合
上の窓から、津波が防潮堤を越えている写真が撮られて、ホームページに


さらに北東にカメラを振ったが、北東にのびる大防潮堤は破堤していた
両方の防潮堤に挟まれた家屋はほとんどすべて流されてしまった
防潮堤を過信する余り、こんなところに家屋がたくさん建っていたらしい


2005年撮影の写真の×点部分はみな破壊


左奥は破堤した大防潮堤




奥は、田老町第一小学校、水平に濃い灰色のコンクリートは鉄道「北リアス線」、




大防潮堤には、見物客が集まった


宮古市田老町総合庁舎


津波防災都市宣言の文字が虚しい、確かに庁舎は津波被災を免れたようだが


無事だった北リアス線の橋梁


北リアス線の橋をくぐると、小学校の正門


校庭に薄く泥を被る






宮古市立田老第一小学校


校門の北門柱


校門の南門柱




無傷の右総合庁舎、  左一階がつぶれ、二階が窓ガラスが割られた民家


ちょうど、北リアス線が通った、開通しているのだ、一輌で、
数日後にTVニュースで、車両を陸送して3輌にする予定だとか見た


2階の窓が破られた


宮古市田老総合事務所
事務所の前に仮設トイレ、もう水道が復旧し、下水道も復旧したのか?


東の防潮堤が見える






仮設トイレの後ろに隠れるように、石碑が


虚しい文言、津波防災の町宣言
庁舎は無被害、大防潮堤の後ろの町はほぼ全滅
人間のやることの限界が見えてしまう
防潮堤に対する過信だ


津波防災都市宣言 平成19年3月


お寺「常蓮寺」も無事だった


呼び鈴のすぐ下約十センチが海面に覆われた線らしい




町の中にはまだ小舟が、カイタイOK 解体OK


田老第一中学校の方は、一階がやられていた




泥水の量が多い






昭和三陸津波の時はここまで、しかし今回はもう百メートルほど先まで津波につかった


解体しなくてもよさそうだが


向こうに北大防潮堤が左下に






右北大防潮堤 と川に架かる橋が流失


北側から見た]字防潮堤の中側は、一般家屋が全滅


































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