2011年5月10・津波被害・宮城県山元町


デジカメ: ディジタル一眼 ニコン D5000 18-200mm (35mmカメラ換算 28-300mm) 手持ちによる撮影

写真数53枚。

アナログの方は重いので、やめた方がいいです。
ブロードバンドの方は気にならないスピードで開けます。

最終更新日 :  2011.07.01


宮城県山元町・津波被害

2011年05月20日(金)、06月05日(日)
3/11 の東日本大震災の津波被害地の写真を撮って来た。
一人で。ここでは、 5月20日1回目朝、6月5日夕方2回目、宮城県山元町篇。
山元町の死者数は 661人、行方不明者数 88人。

5月20日、最初に行ったのは、下の写真の一番上
山下駅から右、東の県道 38号線に出て、坂元駅の少し南まで行った
そこより南には行かせてくれなかった




最初に行ったのは、山元町の北のJR常磐線 山下駅
大きな被害はなかった


窓などは、破れていない


山下駅の西側、一階は破れていた


南方を見る、左が海側


右が海側、一階がやられている、津波の高さは約3mか


線路の上を歩き、東方の景色、右側が海側


山下駅の渡り廊下は特に被害はないようだ
駅の案内板は、海側に少し傾いている、返しの津波でやられたか


線路から東方に向かって歩く
一階の屋根までやられていた、ここでは約3mほどの津波高さか


だんだん東の方に移動していく、西方向を見る


西方向を見る、一階部分のみ壊されている


山下駅から、東に県道38号線を
車でだんだん南に移動していく
防風林も流されていた


県道38号線、北を見る、右が海方向
家屋はすべて流されていた


南西を見る


南を見る




この自衛隊は、どこかの県の支援で来ていた




上の写真のGPSマーキング地点
北東側から、坂元駅
渡り廊下の側壁が破れていた


JR常磐線 坂元駅
駅舎への渡り廊下の西側の支柱が変形している
駅舎?の屋根の下が破れている




朝早くから、ダンプの列


中浜小の隣の区画は墓地すべての墓石が倒れている


北東方向を見る


この後、ヘルメットも被らず、ベストも着ていなかったため、
左端の消防車の消防団の男性から、これ以上は通行禁止だと、西方向に曲がらせられた
西方から、中浜小 体育館
2階の窓もすべて破られていた、5m以上の津波高さだったと推測される




右奥は 坂元駅


家屋は一軒も残っていない


藤の花が満開


南西方向より、坂元駅と田の中はガレキ


南西方より、坂元駅を眺める


JR常磐線 坂元駅
渡り廊下はゆがんでいる


案内板は、わずかに変形


壁画は残っていた


坂元駅から西方向、家屋はみな流されていた



前回入れなかった中浜小学校より南側

福島県新地町のすぐ北側が、宮城県山元町なので
6/5はもう一度山元町の、中浜小学校より南へも行ってみた
今回山元町の最南端は、磯浜漁港の数百メートル北の□地点まで行った


山元町立中浜小学校
日曜日で 17時を過ぎていたので、重機は動いていなかった


中浜小 体育館


中浜小


右は、ガレキの集積場


車の残骸などは、ある程度集められているようだ


海の方向
防潮堤が破堤


防潮堤は沈んでいる


破堤した防潮堤


この写真が、GPSで確認した、今回の山元町最南点から、北を見る


あとは、周辺の写真




不等沈下で破堤


残った部分


西方、左奥は2階までずっぽり破られている




土台から上は、皆流されている


山元町から、16分北のどこだかで、家屋がひっくり返っていた


山元町から、少し北のどこだか?
機関車のみ一輌



TETSU のホームページに戻る