写真数83枚。
アナログの方は重いので、やめた方がいいです。
ブロードバンドの方は気にならないスピードで開けます。
最終更新日 : 2012.04.16
大森貝塚
2012年02月19日(日)
地団研東京支部日曜地学ハイキングで「大田区界隈を巡って@」を巡る会に参加した。
63歳で初めて行った大森貝塚の部分のみ載せた。感動した。
JR大森駅北口に集合して北北東方向へ、歩き出す。
出発からわずか3分で、入口到着。NTTビルが目印。
ビルの間の細道が入口。
階段で、東海道線・京浜東北線のすぐ脇に下りていく。
エドワード・モース(1838-1925)は、28歳の時、日本に渡った。2年弱の滞在で、多くの業績を挙げた。
これが、大森貝塚の大田区側の石碑。
京浜東北線のすぐそばに、石碑が建てられた。
入口には、土器などを描いたタイルが埋め込まれていた。
タイルは、歩道脇にも埋め込まれていた。
大田区側の石碑から、4分で品川区側の「大森貝塚遺跡公園の入り口に到着。」
この案内図の10番が今いる、大森貝塚遺跡公園。
石碑はは、案内図右上の端部Bが石碑の位置。
正面に飾りがあった。私は、貝塚そのものかと思った。
飾りトンネルの向こうの白いコンクリート製の丸い覆いが、本物の貝塚の一部。
本当の貝塚模型のように見えるが、偽物の飾りとのこと。
この白いドームが、遺跡公園を工事する前の発掘で、発見された貝塚の一部。
幅 1.5m ほどの貝塚の一部。
ドームの中を覗いて、線路脇の石碑に向かう。
品川区側石碑も京浜東北線のすぐ脇。
大田区側よりも一年前に石碑が建立された。
モースと一緒に発掘に参加した、佐々木忠次郎の名前もある。
石碑から戻ったら、噴水が噴出していた。
土器を持つ、エドワード・モースの銅像。
品川区・ポートランド市 姉妹都市提携記念碑。
野外の説明板。
その他にも、同じラウンド内に別の説明板もあった。
さらに、移動する。
5-6分で、品川歴史館に到着。
入館料は 100円。
入口を入ったところ。
2階にモース関連の展示があった。
モース関連のQ&A。
この報告書の訳が、岩波文庫「大森貝塚」である。
この訳が、平凡社東洋文庫「日本その日その日1,2,3」である。
Japan Day by Day 中身。日本語訳も全訳が平凡社東洋文庫「日本その日その日1,2,3」として、出版されている。
左が、岩波文庫。右は、モースが日本に来たのは、ミドリシャミセンガイの研究のためだという。
品川歴史館の2階には、モースが描いた発掘風景の絵が
幅1mほどに? 拡大されて、飾られていた。
岩波文庫にもこの絵が載っている。
1階に展示してあった、品川区大崎の居木橋遺跡の貝塚。
同じく1階の、大森貝塚標本。
その後、岩波文庫「大森貝塚」を2/22-28 で読了した。
「日本その日その日」は、「Japan Day by Day」は1を読み終え、2は、大森貝塚関連部分は読み終えた。