2013年1月1・エジプト・ダイジェスト

デジカメ: ディジタル一眼 ニコン D5000 18-200mm (35mmカメラ換算 28-300mm) 手持ちによる撮影

写真数91枚。

アナログの方は重いので、やめた方がいいです。
ブロードバンドの方は気にならないスピードで開けます。

最終更新日 :  2013.01.27・29、2.02・05・07・13・15、3.1・16・18 一部補足修正


エジプト

2013年01月10日(木)-01月19日
読売旅行のパッケージ・ツァーで、エジプトへ行ってきた。毎日、晴れ。日本の5月ほどの気候か。
治安があまり良くなかったが、我々の行った観光地は、ほとんど不安を感じることはなかった。
このダイジェスト版では、ルクソール・アスワン・アレクサンドリア・カイロの街中の部分は、一枚も掲載していない。
説明は不十分だが、とりあえず、写真だけでも、走り見していただければ。

説明は、以下の本を参照した。
JTB World Guide エジプト 2006
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI
王家の谷・王妃の谷 ルクソール 日本語版 BONECHI 2008
マグディ ガマール編・著 アブ・シンベル神殿 日本語版 2008
吉村作治 世界一面白い 古代エジプトの謎 [ツタンカーメン/クレオパトラ篇] 中経文庫 2010など
吉村作治 世界一面白い 古代エジプトの謎 [ピラミッド/太陽の船篇] 中経文庫 2010など




ルクソール


エジプトで最初に訪れたのが、ルクソール。
ルクソールは、エジプトの真ん中にあり、ナイル川に面する街で、
古代エジプトには、テーベとして都であった。




カルナック神殿



エジプト到着最初に訪れたのが
ルクソール、カルナック神殿
ルクソールの東岸にある
エジプト最大の神殿
このあたりは、B.C.950-600年に作られた作られた
奥の方の広い部分はB.C.1960-1100年に作られた
向こうが東南東
西北西から、東南東方向へ歩いていく


スフィンクス
牡羊の姿という
高さ1mほどか、台座まで含めると2m程度




第1中庭
このあたりは、B.C.950-600年ころに作られた


第1中庭の右側のスフィンクス
牡羊のスフィンクス




神官パネジェムの巨像
B.C.千年ほどに、ラムセス2世像をパネジェムが、
自分の像とした、高さ15m




この女性はラムセス2世の妻の一人となったBent Anat 王女


大列柱室
B.C.1960-1100年ころ作られた


大列柱室の右側


右のオベリスクはトトメス1世(B.C.1530‐1520)のもの、高さ23m
左のオベリスクはハトシェプスト女王(B.C.1504-1484)のもの、高さ30m
およそ東方向


振り返って、南南西方向
高い方のオベリスクはハトシェプスト女王(B.C.1504-1484)のもの、高さ30m


聖なる池の南東側から北西方向
アメンホテプ3世(B.C.1408-1372)のころ作られた



ルクソール神殿



やはり、ルクソールの東岸にある
最初の日の夜、訪れた
ライトアップされたルクソール神殿
カルナック神殿の南西、およそ3km
アメンホテプ3世(B.C.1408-1372)が着工し、ラムセス2世(B.C.1298-1235)が完成させた
この写真は、北東側から南西方向
2体の座像はラムセス2世のもの
右にあったオベリスクは、現在パリのコンコルド広場にある
エジプトからフランスに寄贈されたとのこと、高さ25m
今から考えると、エジプトにとってもったいないことをしたものだ


北東側にスフィンクスがあり、3km 先に昼間見たカルナック神殿がある


巨大な座像2体のうちの左側はラムセス2世のもの
高さ15.5m




ラムセス2世の中庭


正面は、大列柱室




オベリスクの4面には、象形文字(ヒエログリフ)が彫られている


ラムセス2世の座像が、左右に


このスフィンクスの向こう約3kmに、カルナック神殿がある
人面か?


北東側からの第1塔門、全景
この写真の後ろに、上の写真の牡羊?のスフィンクスが、カルナック神殿方向に並ぶ



王家の谷



撮影禁止なので、画像はない。バスの中から撮影。
北東から南西方向を見る。
中央のピラミッド型の山をピラミッドと見立てて各墓は掘られているとのこと。
3つの墓の内部に入ってきた。
ツタンカーメンの墓は小さいが、盗掘されていないので、
素晴らしかった。中にツタンカーメンの本物のミイラが安置されていた。



ハトシェプスト葬祭殿

ハトシェプスト女王(B.C.1504-1484)のころ作られた
電気自動車で、斜路の手前まで行く


葬祭殿全景
南東から北西方向を見る


ハトシェプスト女王の巨像が下から第3層目に、今は8体復元されている


2層目の柱・壁には、壁画が彫られている
段々色あせてきている
2百年前は、もっと色が残っていたようだ



メムノンの巨像



アメンホテプ3世(B.C.1408-1372)の神殿の前のファラオの巨像
ななめ後ろから


B.C.27年の大地震によって、神殿は大被害を受けたとのこと
南東から北西方向を見る



ナイル川クルーズ



コンチェルト号に4泊した。5階デッキ。


右に見えるヨット
は、ファルーカと呼ばれる小舟


停泊しているのがクルーズ船5隻が横付けしていて、
自分の船に行くのに、他のクルーズ船の中を通っていく
高さは皆同じになっている


ルクソールの東西を結ぶ道路橋
遺跡があるので、ルクソールのかなり南に架かっている
船で40分も南だ




ナイル川の東側の山



乗っているコンチェルト号も、前の船と、ほぼ同じ高さだ


日没後、月は新月が近い


コンチェルト号、我々の連泊していた客船




エドフのホルス神殿



B.C.2世紀ころから2百年かけて、プトレマイオス朝時代に作られたとのこと
プトレマイオス3世(B.C.246-221)が着工したもの
エジプト国内で、現在も最も原型を留めているといわれる神殿
ナイル川クルーズの途中で、早朝、出発して、馬車で神殿まで行った
巨大な塔門
南から北方向



中庭の正面




ナイロ・メーター(水位計)


気づかず、靴のまま水に5cm入ってしまった


左右一対のハヤブサのホルス神、右側



左側
黒い花崗岩製






ナイル川クルーズは続く

サン・デッキで終始、最前列の椅子に座り、大いに日焼けした
ナイル川の幅は、隅田川を少し広くしたほどの川幅





コム・オンボの神殿



トトメス3世(B.C.1505-1450)が作った建造物の跡地にプトレマイオス6世(B.C.170ころ)が建てた神殿




レリーフが見事




ナイロ・メーター(水位計)







上の写真の左下 アップ
左側
中心の左ハヤブサ・ホルス神 右ワニ・セベク神


アップの右下
こちらには、真ん中の長円の中に象形文字が書いてある(カルトゥーシュ)




コム・オンボのミイラ博物館

撮影禁止だったが、盗撮した。
ワニのミイラ。ワニも神様だった。セベク神という。








アスワン

アスワン・ハイ・ダム



アスワン・ハイ・ダムから下流を望む
ソ連が作った、アースダム
このダムを作ることにより、いくつもの古代遺跡が水中に沈み、
アブ・シンベル神殿は国際協力により、分解・移設した
1964年に着工、1972年に貯水完了




アスワンの花崗岩石切り場





古代から、この石切り場から切り出された石材が、船でナイルの増水時に、エジプト各地に運ばれた



切りかけのオベリスク

石切り場の中に「切りかけのオベリスク」がある
途中でひびが入ったため、放置された
長さ42m、重さ1150トン


横から



下から



アブ・シンベル





アスワン・ハイ・ダム建設のために湖水に水没するというので、
ユネスコの声掛けで世界各地から援助受けて、ナセル湖左岸のより高いところに移設工事が行われた
各像は、ブロックに切られ、番号を付けて、運搬、組み立てた
各国の協力で移設大工事が行われた
ラムセス2世(B.C.1298-1235)が建造した
神殿の中で最も有名なもの
エジプトの南のはずれ、スーダン国境に近い、北回帰線の少し南

この合成写真の左が大神殿、右が小神殿



アブ・シンベル大神殿

高さ32m、幅38m、巨像の高さ20m
中は撮影禁止








小神殿

ラムセス2世が第一王妃ネフェルタリのために建てた神殿
大神殿の約100m北東にある






アレクサンドリア

カイロからバスで4時間かけて、アレクサンドリアで1泊
ただ、実際には、ホテルの食事は比較的おいしかったが、
アレクサンドリアのこの2箇所は、はっきり言って失望した。
まあ、行かなければわからなかったが。




カイト・ベイの要塞

15世紀ころ健造、世界の七不思議の1つのファロス島のあった場所
B.C.3世紀ころに作られ、高さ120m、30km先まで明かりが確認されたという
中は入場禁止



ポンペイウスの柱

3世紀ころ、ローマのディオクレティアヌス帝が建てたともいわれる
セラビス神殿にあったといわれる400本ものコリント式の円柱の1本ともいわれる
391年にキリスト教徒によって破壊された
アスワン産の花崗岩を使用した円柱は高さ27m、台座を入れると約30m、
2体の人面のスフィンクスを構える







ギザのピラミッド

バスで、ギザの3大ピラミッドを見にゆく
まず、展望箇所からは、濃霧で何も見えない





霧で、ピラミットが見えない。
「そんなー。」
このラクダは、観光用に有料で観光客を乗せるもの、数十頭いた


まったくの濃霧だ


クフ王のピラミッド
高さ 建設当時 146.6m 現在は9m 崩壊している
基礎部分の四角形の1辺の長さ 230.3m


ピラミッドの中に入る
左1/3、上下真ん中に黒い人が立つところが入口(820年盗賊アル=マムーンが掘ったもの)
石の途中、右下に下りる階段が刻まれている
左下に向けて、上りの階段が刻まれている
この階段は、正面からは見えないようになっている
中は撮影禁止、カメラの持ち込みも禁止、入る前にガイドに預ける


1時間後にピラミッドが見えた。よかった。バスの中より。
左クフ王のピラミッド左下の白い建物は「太陽の船博物館」
右端のガサガサな小さなピラミッドは、「王妃のピラミッド」
右下の神殿らしいものは何か?葬祭殿か?


まだ霧があるが、後方に、ギザの3大ピラミッドが三つ見えている。
右はクフ王(B.C.2600年ころ)、中央はカフラー王(B.C.2600年ころ)、左はメンカウラー王(B.C.2600年ころ)のピラミッド
クフ王のピラミッド 高さ 建設当時 146.6m 現在 137m 1辺の長さ 230.3m 傾斜角 51.50°
中央はカフラー王のピラミッド 高さ 高さ 建設当時 143.5m 現在 136.4m 1辺の長さ 215m 傾斜角 53.10°
左はメンカウラー王のピラミッド 高さ65m 底面 102.2m×104.6m 傾斜角 51.20°


スフィンクスと後ろは、第2のカフラー王(B.C.2600ころ)のピラミッド
1735年には、首まで砂に埋まっていた絵が残っている


スフィンクス(クフ王の時代(B.C.2600ころ)に建造)
全長57m  高さ20m


スフィンクスの後ろから








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