2013年1月7・エジプト・カイロ考古学博物館

デジカメ: ディジタル一眼 ニコン D5000 18-200mm (35mmカメラ換算 28-300mm) 手持ちによる撮影

写真数15枚。

アナログの方は重いので、やめた方がいいです。
ブロードバンドの方は気にならないスピードで開けます。

最終更新日 :  2013.03.23、24 一部補足修正


カイロ考古学博物館

2013年01月10日(木)-01月19日
読売旅行のパッケージ・ツァーで、エジプトへ行ってきた。毎日、晴れ。日本の5月ほどの気候か。
1/16 滞在の日、カイロ考古学博物館には、2時間程度の滞在だったが、
ツタンカーメン関連の展示が本当に見事だった
説明は不十分だが、とりあえず、写真だけでも、走り見していただければ。
なお、博物館の中は撮影禁止で、カメラを取り上げられてしまったので、
この素晴らしい、カイロ考古学博物館の展示品の一部を、
やむを得ず、見たものだけ、仁田三夫氏の著書等の写真の部分を一部スキャンさせていただいた。

ただ、博物館の展示は、説明文が小さく、英語でも表示されてはいたが、展示法としては、
かなり劣るものであった。それにもかかわらず、展示品が5千年の歴史を持っていたので、素晴らしいのである。

説明は、仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 を主に
JTB World Guide エジプト 2006 を一部
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI
吉村作治 文 エジプト美の起源[カイロ博物館入門] 1997 小学館
マグディ ガマール編・著 アブ・シンベル神殿 日本語版 2008








カイロ考古学博物館にて

博物館に到着したころは11時近かった。


建物正面の一番上に、左1897年、右1901年と記入してある。
今のこの場所に移ったのは、1902年とのことである。
敷地の広さは、東京の国立博物館の4分の1程度か。
門を入ってすぐが、セキュリティー・チェックの部屋だ。


セキュリティー・チェックしている。荷物を機械に通す。




この後、カメラを日本人添乗員に預けた。








後ろの高層建物は、焼け焦げているが、一年前の2012年春に、暴動で焼かれたもの。
博物館は無被害だったが。




すぐ右側が博物館の入口だ。



カイロ考古学博物館内部参観


2時間という時間限定で見たので、
完全に全部見たとは言い切れないが、エジプト人ガイドが上手に
ダイジェストして半分案内してくれた。
内部は撮影禁止なので、見たもののみ、いくつかの本をコピーさせてもらった。
中でも一番記憶に残ったのは、2階の1/3を占める ツタンカーメン関連の展示だった。
下のフロアプランの2階、黄緑色の部分に、ツタンカーメン関連の展示があった。
JTB World Guide エジプト 2006 による


中央奥に、アメンホテプ3世夫妻座像が見える
吉村作治 文 エジプト美の起源[カイロ博物館入門] 1997 小学館 による



ツタンカーメン関連の展示

圧巻は、ツタンカーメンの黄金のマスク
昔、東京で展示したものは見ていないので、
私にとっては、今回が初めて、
最初は人がたくさんいたが、しばらくすると、少ない人の中でじっくり見ることができた。
今は、このような展示状況である。
吉村作治 文 エジプト美の起源[カイロ博物館入門] 1997 小学館 による


出土品は、ルクソール王家の谷で、ツタンカーメンの墓の控えの間に以下のように少し乱雑に入っていた。
盗掘も2度ほどあったようだが、それでもこんなにいろいろなものが残されていた。
上の写真1の右側に、動物の寝台が2種写っている。
左側には、戦車が解体されて置かれていた。戦車は復元組立され、博物館に展示されていた。
下の写真2の真ん中に、牛の頭の美しい寝台が置かれている。
さらに右側に3台目の寝台の後ろの部分が写っている。
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


上の3の写真は、ファラオの「カー」を表す2体の像が、玄室の封印された扉を守っている。
格子の向こうに部屋いっぱいの大きさの金泥木製の棺が安置されているのが見える。
下の4の写真は、墓の内室の様子。布地にくるまれ首に花輪をかけているアヌビス神が王の財宝を守っている。
奥には、ファラオの内臓を入れたカノプス壺を納めた木彫の祭壇が見える。
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


実に見事な造りであった
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


素晴らしかったのは、下の写真の右側の玉座
実物は、もっとはっきりした色で鮮やかだった。
仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


下の右側が、玉座の背中の部分
実物はもっと色鮮やかに見えた、素晴らしい浮彫だった。
仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


ミイラは、4重の厨子に入れられていた。
仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


右には、上の方で既述のカノプス厨子が写っている。
仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


一番左の黒人の像は左右2体、素晴らしい木造だった。
仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


これらの像は、写実的だった。実に見事な彫刻。
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


動物たちも、寝台の一部として、写実的に作られていた。
寝台は、ライオン、牛、カバの頭の3種あった。
左の写真のアヌビス神は、既述の白黒写真で布が巻かれていたもの。
仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による


残された下着まで展示されていた。
仁田三夫著 図説 ツタンカーメン王 2005年、ふくろうの本 河出書房新社 による



その他の展示

以下は、印象に残った展示品

砂岩製のアケナテン巨像
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


ハプから運ばれてきた アメンホテプ3世夫妻座像
高さ 10m を超える巨大な像
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


メイドゥーム出土(スネフル王のピラミッドの近く)の将軍と大神官ラーヘテプとネフェルトの像
下は、小人セネプとその家族 石灰岩製の彩色像で、小さいが造りは精緻である 第6王朝期
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


兵隊一人一人の背丈も顔も異なる見事なもの
芸術と歴史の国 エジプト 日本語版 BONECHI による


2階のはずれに、別料金のファラオのミイラを並べて展示している箇所があり、
ナムセス2世、セティ1世、ハトシェプスト女王、トトメス3世など、十体ほど展示されていた。
なお、ツタンカーメンのミイラは、ルクソールの西岸王家の谷のツタンカーメン墓の中の前室に展示されていた。
マグディ ガマール編・著 アブ・シンベル神殿 日本語版 2008 による


2時間、内部を見て、感動した。
ほかにも、ものすごい数のミイラの棺、船をこぐ人々の模型(1mほどの大きさ)等が記憶に残った。


カイロ考古学博物館内部を見終わり

入ったころは曇っていたが、出た時には晴れていた。
建物正面の一番上に、左1897年、右1901年と記入してある。


右側


左側


下の写真は、パピルスで、博物館の正面に植えられていた。



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