2013年12月2・マチュピチュのみ

デジカメ: ディジタル一眼 ニコン D5000 18-200mm (35mmカメラ換算 28-300mm) 手持ちによる撮影


写真数71枚。

アナログの方は重いので、やめた方がいいです。
ブロードバンドの方は気にならないスピードで開けます。

最終更新日 :  2014.01.13


マチュピチュのみ

マチュピチュは、6日目、12/2(月)

下では、時刻の設定を間違えていて、画面の時刻から2時間を引いた値が、実際の現地時刻。

出発点のオリャンタイタンボ駅


この列車に乗っていく


駅には、素晴らしいデザインの敷物を売っていた


7:30 オリャンタイタンボを出発
わが車両のホストとホステス、左のホストはなかなかひょうきんな男だった


列車はずっと、ウルバンバ川沿いを行く
立木はユーカリが多かった


カーブのところで


下の橋を渡って、インカ道が対岸を上がっていく


1:30かけて、列車を降りたマチュピチュ駅

10分ほど歩いて、左側のバス(29人乗り)が、次々に出る


途中のジグザグの道、一部石で舗装されていた
1/12 のニュースでやっていた、この道の一部が崖崩れでふさがれ
巻き道で400mの高度差を1時間かけて、入口まで歩くことになったと


29人乗りのマイクロバス、ベンツ製


列車(1:30)とバス(0:30強)で、2:15かけて、入口までアプローチし、世界遺産「マチュピチュ」の入口を入ったところ
入口の手前に有料トイレがあるが、マチュピチュ遺跡の中には、トイレはない


途中から下を見下ろす、列車が写っている




途中で、竹はあるかと現地ガイドに聞いたら、日本語であると言って指差した


こうして、20分ほど登って
初めて、マチュピチュのよく写真で見慣れた風景を撮影


朝、10:20 なのに結構な人々が見える




右下の時刻のさらに下、北東の谷に、白く列車らしきものが見える
あそこからマイクロバス(29人乗り)で約30分のアプローチ、20分の徒歩の後


登ってきた北東側の谷


中央を左から右に下がる道は、インカ道だ、我々はこのインカ道を数十メートルだけ歩いた
手前の動物はリャマ


右下の小屋が「見張り小屋」


左下、北西にも谷が見える


北東側の谷


マメ科の花と思われる、日本にはないようだ


葬儀の石、現地ガイドの話では、この石の周りは、墓になっているとのこと


葬儀の石を遠望、石の周囲は、墓になっているとのガイドの説明だった


見張り小屋の近くにいた リャマ Llama


見張り小屋


今も修復が続いている


市街地入口


右後ろ下に、段々畑、谷は東側
まだ修復作業中か


石切り場


石切り場の多数の石のブロック


左奥の方に、居住区域の建物


近くに生える植物を一か所、5m四方ほどに集められ、名札が付けられていた
中央あたりに、「コカ」があるはずだが


白い花は、ランの女王「カトレア」、熱帯アメリカ原産とのこと


赤い花は? Fuchsia boliviana (アカバナ科)


左1/4に水色の花は「トケイソウ(時計草)」
我が家にもある


現地ガイドが、方向磁石をここに置いた、ガイド側が北、磁石は日本と逆で、南が赤色だった
現地ガイドのいる左側が北西、この石は「南十字星」の形を表しているという


私の持っている日本製の百円磁石を、ひし形のこの石の角に乗せた
日本の磁石は、上の写真と反対の、北が赤
南十字星を表しているとのこと


中央後ろが、「3つの窓の神殿」
この写真しか、全体が写っている写真がなかった
手前の中国人らしい人が写りこんでいる


「中央神殿」、
右側後の壁面が、崩れかけている
その右後ろに、「インティワナ」のある、居住区域の一番高いところが見える


左側の半円形は「月の神殿」と呼ばれる部分
下は、西側の谷


いわゆるセイヨウタンポポ


一番高いところに上る途中で
ユウゲショウ(アカバナ科)
熱帯アメリカ原産、日本の多摩でも、帰化植物として、河川際に生えている


居住地域の中で一番高い個所に上がってきた


「インティワタナ」は、マチュ・ピチュの居住区域の中で一番高いところに建設されたピラミッドの上に位置している
この名「インティワタナ」は、「太陽をつなぎとめておくところ」を意味しているそうだ
日時計と考えられてきたが、この時計説は否定されているとのこと
しかし、冬至点で太陽の位置をしめすのだから、種まきや収穫時など、農業に役立つ情報を提供できるとのこと
右奥の方が、北


画面の後ろ方向は、南


右後ろの山がワイナ・ピチュ山
ワイナ・ピチュ山の下に、「ワイラナ」と呼ばれる二つの建物がある
北方向を見ている


ワイラナと呼ばれる二つの建物、3方が壁


この時、ちょうど雨の降り方が激しかった


「聖なる岩」「聖なる石」は、後ろの山々を崇拝するための祭壇として使ったとのこと




聖なる岩の厚さは0.5m程度


日本でのスズメの仲間、Rufous-collared Sparrow


小屋の石垣の傾きは、後ろのワイナ・ピチュ山と同じ傾きだ
ワイナ・ピチュ山の方が北
右下は、東側の谷


「石臼の部屋」、別名「石臼の神殿」


観光客の下の方に、コンドルの神殿のコンドルの頭が見える
左後の岩が羽、右側の画面外の岩も羽


コンドルの神殿の下の部分、三角形がコンドルの頭


太陽の神殿に向かって登る
中央は排水路が上から下へ


排水路を上から


排水路をアップで


太陽の神殿、下は「陵墓」を形成する洞窟、人との対比で大きさがわかる


下の陵墓


最後の部分の近くにあった朝鮮朝顔
種子に猛毒がある、スコポラミン・アトロピンなどの原料
乾した葉は生薬の曼荼羅葉で、鎮座薬・喘息煙草の原料とする、曼荼羅華(まんだらげ)


我が家にもある、ハマユウ(ヒガンバナ科)


ここまで、およそ3時間歩いてきた、時々雨にも降られた
左下は東側


小屋掛けの先が、マチュピチュ出入口
南東側にあたる


出入り口のすぐ先が、マイクロバス乗り場、10分ほど待つと乗れる


トータル約3時間強、今回のハイライト、マチュピチュの旅は終わった



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